雑談@ふたば
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画像ファイル名:1630917611940.png-(1106474 B)
1106474 B21/09/06(月)17:40:11 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320258+ 12月25日頃消えます
『逆賊、ドゴール将軍、神風、持明院統』
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▼平治の乱の後、死一等を減ぜられ、平清盛の嫡男、平重盛の家人である藤原南家の伊東祐親(工藤祐親)の監視下に 少数の従者を伴って13歳で流された清和源氏の嫡流、頼朝。

▼名誉を重んじ 一族が睦み合う関東の自然恩沢の守護人たる小山氏や千葉氏、三浦氏などと全く異なり、辺境の伊豆では 本拠地の伊東を中心とする久須美庄の開発領主となった工藤祐隆の一族のように肉親同士が血で血を洗う相続争いを繰り返していた。

▼工藤祐隆の本拠地 伊東が 後妻の連れ子である工藤祐継から その息子の工藤祐経へと相続され、嫡流を自負する己には辺境の河津しか宛がわれなかったことに反発した前妻の孫、河津(工藤)祐親が伊東を掠め取って伊東祐親を名乗り、すると今度は工藤祐経が逆襲して 伊東祐親の嫡子、河津(工藤)祐泰を奥野の巻き狩りの帰路、射殺した。

▼そして相模の小領主である曽我祐信と再婚した河津(工藤)祐泰の未亡人の連れ子が『曽我物語』に登場する曽我十郎祐成(幼名 一万)と曽我五郎時宗(幼名 筥王)である。
121/09/06(月)17:41:48 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320259+
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▼辺境 伊豆の豪族達は、名誉を重んじて同じ血筋で結束するよりも おのおのが暴力、詐欺、脅迫で生き残る道を切り開くのが流儀だった。

▼流人である源頼朝の監視役だった伊東祐親の目を盗んで、頼朝が祐親の娘、八重姫と密通し千鶴御前をもうけたのを知ると、伊東祐親は容赦なく千鶴御前を松川に沈めて殺害したので、頼朝は北条時政に庇護を求め 時政の娘、政子と結婚した。

▼この時 北条時政は伊東祐親の娘を正室に迎えており 既に義時や政子などをもうけていたが、矢張り同じ血筋で結束するよりも 伊豆の豪族達の流儀に従い、勝ち馬に乗るべく我を通す道を選んでいる。
221/09/06(月)21:11:47 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320261+
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▼伊豆の豪族達は、 名誉と血統を重んじ 宗家に対し庶家として忠義を尽くす関東の自然恩沢の守護人達と全く異質であり、おのおのが暴力、詐欺、脅迫で我を通す破落戸ヤクザの流儀の信奉者だったので、同族への裏切りも日常茶飯事だったのだ。

▼源頼朝が平家打倒の兵を挙げると、平家方の伊東祐親の娘を正室に迎え 自らも平氏の末裔である北条時政は 躊躇することなく頼朝に従軍し 伊東祐親や平家軍と戦火を交えた。

▼治承・寿永の乱を制し 源頼朝が将軍に就任すると、平家方だった伊東祐親は恩赦を辞退して自刃した。
321/09/06(月)21:13:08 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320262+
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▼仮に恩赦を受けていたとしても、 久須美庄を奪い取りたい北条時政によって義父の伊東祐親は容赦なく暗殺されただろう。

▼『曽我物語』によれば 治承・寿永の乱を制し 将軍に就任した源頼朝の催した富士野(駿河国)の巻き狩りに潜入して頼朝の側近となっていた工藤祐経を暗殺した伊東祐親の孫が曽我十郎祐成と曽我五郎時宗だった。

▼しかし 敵討ちを成し遂げたところで何も得るものも無いのに 伊豆の豪族である曽我十郎祐成と曽我五郎時宗は本当に父の敵として工藤祐経を、祖父の敵として源頼朝を討とうとしたのだろうか?
421/09/06(月)21:25:30 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320263+
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▼暴力、詐欺、脅迫で我を通し 肉親を裏切る骨肉の争いも厭わない破落戸ヤクザの流儀で生きる伊豆の豪族の端くれが、何の得も無いのに父や祖父の仇討ちをしたとは考えられない。

▼平家方に付いた伊東祐親や孫の曽我兄弟が 源氏方に付いた工藤祐経を殺害したところで、頼朝が敵方に恩賞を与える道理は無い。

▼矢張り曽我十郎祐成と曽我五郎時宗(時の字は北条時政から与えられた)の伯父で 五郎時宗の烏帽子親である北条時政が、発足したばかりの鎌倉幕府で冷遇されたことに憤慨し、暴力、詐欺、脅迫で我を通す意を体して (時政が警備を担当する駿河国富士野の巻き狩りで頼朝の側近を暗殺するよう)曽我兄弟を唆したと解する方が説得力が有る。
521/09/06(月)21:27:07 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320264+
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▼すっかり北条時政の仕打ちに恐懼した源頼朝は、頼朝の側近である工藤祐経を殺害し、あまつさえ頼朝の本陣に討ち入って来た曽我五郎時宗を赦免しようとした。

▼また御家人の筆頭であり将軍を補佐する執権職を新設して 北条時政を任命したのである。

▼同じ平家の血筋で結束するよりも 北条氏は頼朝の平家打倒の挙兵に加勢し 躊躇なく同族の平家や伊東祐親軍を蹴散らしたが、それもこれも暴力、詐欺、脅迫で我を通す伊豆の破落戸ヤクザの流儀に則り、勝ち馬(官軍)に乗っかったまでのことだった。

▼辺境の地である伊豆の豪族達にとって 我を通すために同族を裏切り、暴力、詐欺、脅迫で仕打ちを加えることは別にルール違反ではなかったのである。
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621/09/06(月)21:37:31 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320265+
    1630931851419.png-(227437 B)
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▼梶原景時の変(西暦1199年)、頼家暗殺(西暦1203年)、比企能員の変(西暦1204年)、畠山重忠の乱(西暦1205年)、和田合戦(西暦1213年、和田義盛)、牧氏事件(西暦1215年、北条時政)、実朝暗殺(西暦1219年)、承久の乱(西暦1221年)、宝治合戦(西暦1247年、三浦泰村)、千葉宗家 乗っ取り(西暦1281年、千葉胤宗)、霜月騒動(西暦1285年、安達泰盛)、後醍醐暗殺未遂事件(西暦1334年、西園寺公宗、北条泰家)と中先代の乱(西暦1335年、北条時行)、大覚寺統への帰順と持明院統への反逆(北条時行)…

▼名誉と血統を重んじ 宗家に対し庶家として当然の忠義を尽くす関東の自然恩沢の守護人達と全く異質であった伊豆の豪族 北条氏は、御家人の筆頭であり将軍を補佐する執権職を世襲すると、暴力、詐欺、脅迫で我を通す破落戸ヤクザの流儀に則り、意の侭にならない身内の源家将軍である頼家や実朝を躊躇なく裏切って暗殺したばかりか、容赦なく後鳥羽上皇に弓を引いて隠岐への流罪を言い渡した。
721/09/06(月)21:39:24 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320266+
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▼鎌倉幕府滅亡後も、生き残った北条泰家が西園寺公宗と共謀して後醍醐暗殺未遂事件を起こしたかと思えば、今度は逆に北条時行が臆面も無く後醍醐天皇に帰参して持明院統の朝廷に対して躊躇なく弓を引いた。

▼相手が誰であろうと帰順したかと思えば躊躇なく裏切り、暴力、詐欺、脅迫という弱肉強食原理で同族だろうが何だろうが容赦なく相手を打倒することは、辺境の地である伊豆の豪族達にとって当たり前のサバイバル術だったのだ。

▼更に、破落戸ヤクザの流儀で関東における領土拡大を狙う北条氏は、比企氏に続き 武勇と人望の誉れ高い秩父平氏の畠山重忠を騙し討ちにして武蔵国を手中に収め、次いで和田合戦や宝治合戦、霜月騒動で和田氏や三浦氏、安達氏を滅ぼして名実共に相模国を支配下に置いた。
821/09/06(月)21:47:13 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320267+
    1630932433140.png-(981834 B)
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▼千葉氏は小山氏や三浦氏などと並び、名誉と血統を重んじ 宗家に対し庶家として当然の忠義を尽くす関東の自然恩沢の守護人であった。

▼辺境の伊豆から進出して来て 暴力、詐欺、脅迫で我を通す破落戸ヤクザの流儀を振り翳し関東に勢力を伸ばす北条氏は、南関東攻略の総仕上げとして 元寇に際し領国を留守にした千葉宗家の当主、宗胤の隙を突いて 北条一門の金沢顕時の娘を娶っていた弟の千葉胤宗に躊躇なく兄を裏切らせて家督を掠め取らせ、あまつさえ千葉宗家が信仰していた日蓮宗を排撃して北条一門が尊崇する真言律宗への宗旨替えを断行したのである。

▼南関東を攻略し完全な支配下に置いた北条一族が、同族だろうが輝かしい歴史を誇る名門(自然恩沢の守護人)だろうが 暴力、詐欺、脅迫で我を通す破落戸ヤクザの流儀に則って 次に北関東の足利、新田、小山、結城などを潰しに掛かるのは時間の問題だった。

▼特に足利、小山などは北条得宗家の女子を正室に迎え 親密な関係を代々 築いて来たが、そのような努力も ひとたび北条一門に狙いを付けられれば何の抑止力にもならないことは明白だった。
921/09/06(月)21:48:31 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320268+
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▼江戸時代に『大日本史』を編纂した水戸光圀は、後鳥羽上皇に弓を引いた北条義時を“逆臣”と手厳しく批判したが、南北朝期に『神皇正統記』を著した北畠親房は、“北条義時は人望に背かなかった。陪臣である義時が天下を取ったからという理由だけでこれを討伐するのは、後鳥羽に落ち度がある。謀反を起こした朝敵が利を得たのとは比べられない。従って、幕府を倒すには機が熟しておらず、天が許さなかったことは疑いない”(wikipedia)という官軍批判を展開した。

▼果たして北畠親房の官軍批判は当を得ていたのだろうか。

▼暴力、詐欺、脅迫で我を通す破落戸ヤクザの流儀は 今日まで辺境である伊豆に深く根を張っているようだ。

▼伊豆に起源を持つ朝鮮ゴロツキ・ヤクザの稲川会も、正に北条一族の足跡をなぞるように神奈川県に進出し神奈川県議会を手中に収め、横須賀の小泉一家を担いで国政に多大な悪影響を及ぼした。
1021/09/06(月)21:54:25 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320269+
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▼『裏切り』が全て悪い訳ではない。寧ろ裏切る方が正義である場合も多い。

▼悪逆非道な狂人ヒットラーと誼を通じた暗愚な上役のペタン元帥を裏切って亡命政権「自由フランス」を樹立したドゴール将軍は誰が見ても正しい行動を取ったと言える。
1121/09/06(月)21:56:17 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320270+
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▼ところで 戦前まで横行した南朝正統論とは端的に言えば、「持明院統の天皇方は 平将門と同じように『天皇』を詐称した言わば大覚寺統の朝廷に対する逆賊であり偽主であったが、明徳の和約により それまで『天皇』を詐称していた偽主であった後小松天皇に神器が移ったため、後小松天皇以降、(平将門と同じように『天皇』を詐称した)逆賊や偽主の地位から正統性を有する天皇に変わった」というものだ。

▼しかしながら 易姓革命論に従えば、平将門と同じように『天皇』を詐称した逆賊であり偽主であった徳の無い人物に 後から正統性を有する天皇の地位が移ることは有り得ないであろう。

▼戦前まで横行した南朝正統論は持明院統の天皇方に対して甚だ無礼であったと言わざるを得ない。
1221/09/06(月)22:08:44 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320271+
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▼南朝正統論を肯定する一方、悪逆非道な狂人ヒットラーと誼を通じて「持たざる国」(無産階級国家)を自称し 国家社会主義三国軍事同盟を結んで、米・仏を盟主とするブルジョア憲法を共有する運命共同体に対して無謀な階級闘争を仕掛けようとした藤原摂関家の総理大臣 近衛文麿。

▼出鱈目な判断を下す藤原摂関家の近衛文麿を裏切ることもせず、ひたすら出鱈目な判断に盲従し 連合艦隊司令長官の地位に恋々として真珠湾奇襲攻撃を立案し 日本海軍を指揮した山本五十六は著しく正義に反する行動を取ったと断じざるを得ない。
1321/09/06(月)22:10:47 IP:240b:c020.*(ipv6)No.1320272+
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>1338年9月、大覚寺統の朝廷では劣勢を挽回するために東国の軍勢を糾合して京都へ攻め上るという案が用いられ、北条時行も義良親王・宗良親王や北畠親房・結城宗広・伊達行朝・新田義興らと共に伊勢国大湊から出帆したが、遠州灘を過ぎた辺りで暴風雨に遭遇して四散した。北条時行の漂着した場所は不明であるが潜伏して探索を逃れていたらしい。
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▼神国史観に照らせば、日本史の重要な時期に神風が二度 吹いている。

▼一度目は言わずと知れた元寇の時であり、二度目は持明院統の朝廷に味方した西暦1338年の遠州灘の神風である。

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